開業のきっかけは、挫折と憧れ
浜田山 カフェ『ou』 オーナーインタビュー : 前編

 

開業のきっかけは、挫折と憧れ

浜田山 カフェ『ou』 オーナーインタビュー : 前編

浜田山のカフェ『ou』

週末は朝6時から深夜1時まで店にいることもある。
それでも「やればやるほど店が好きになる」と話す。

浜田山の『ou』のオーナー・大菅さんは、もともとアパレル業界の人間だった。
古着屋をやりたいという夢を持って上京した20代。
そこから方向転換し、パン屋と居酒屋を掛け持ちする修行時代へ。
最初の店を任されたのは居酒屋の2階だった。

そして33歳。
再び東京へ戻り、自分の店を始めた。

現在は地域に根付き、口コミでお客さんが増えていくカフェになっている。
ただ、店を増やすつもりはないという。

理由はシンプル。

「いい店って、オーナーが立っている店だと思うんです」

浜田山の喫茶店ができるまで。その道のりを聞いた。

今回お話を聞いたのは

カフェ『ou』店主

大菅賢樹 さん

名古屋出身。東京でアパレル業界を経て飲食の道へ。名古屋で修行後、33歳で再上京し、浜田山にカフェ『ou』を開業。地域に根ざした喫茶店を営む。

アパレル時代の挫折と「喫茶店」への目覚め

カフェ ou の外観
―― まず、大菅さんのルーツから教えてください。
20代はアパレル勤務だったんですよね?
大菅

そうです。もともとは名古屋から「古着屋をやりたい」という夢を持って上京しました。
23歳のときに東京に出て、高円寺の古着屋でアルバイトを始めたんです。

でも実際に働いてみると、自分より熱量がすごい人がたくさんいて……。
「自分は古着を買う側でいいかな」と思うようになりました。

―― それ、わかります。僕もコーヒー屋をやっていた時に同じことを思いました。
農園まで行くような人の熱量には勝てないなって。ちょっとした劣等感というか。
大菅

まさにそれですね。
でも服自体は好きだったので、24歳のときにユナイテッドアローズに入社しました。

ただ、20代の終わり頃になると、このまま会社にいていいのかと考えるようになって。
働いていて楽しさはあるけど、ずっとやり続ける絵が浮かばなかったんです。

「いつか自分で何かやりたい」という気持ちも漠然とあって。
ちょうどその頃、仕事終わりによく通っていたのが学芸大学にあった『雑伽屋』という喫茶店でした。

―― どんなお店だったんですか?
大菅

正直に言うと、何かが特別に美味しいというわけではないんです(笑)。

でも、そこに流れている時間や空間がとにかく良くて。夜までやっているお店で、仕事終わりにそこでコーヒーを飲む時間が好きだったんですよね。
そこに通っているうちに、「こういう空間を自分も作りたい」と思うようになりました。

―― それで独立を考えるようになったんですね。
大菅 名古屋出身ということもあって、喫茶店はもともと好きだったんです。
それなら喫茶店がいいな、と。

名古屋への「還元」と、1日17時間の労働

オーナー、大菅さん
―― そこからすぐ修行に入ったんですか?
大菅

いや、まずはお金を貯めないといけないので、アローズの名古屋店への異動希望を出しました。
名古屋の方が固定費も安いですから。

ただ、会社への恩義も感じていたので、ただ帰るのではなくて、東京で学んだことを名古屋に還元しようと思ったんです。
形骸化していた教育制度を復活させたり、売上や行動で示したりして。
その1年で「本当に良くなったよ」と言ってもらえるところまでやり切ってから、円満退社しました。

―― それから修行が始まったと。
大菅

名古屋で知らない人はいない有名なベーカリー『SURIPU』で働き始めました。
そこにはアパレル経験者で飲食未経験から入った先輩がいたので、自分もいけるかなと思って。

製造希望だったのが販売担当になってしまったんですが、シネッソの300万円以上する上位機種のエスプレッソマシンがあって、そこでコーヒーの基礎を学べたのは大きかったですね。

―― それまでコーヒーの経験は特になかったんですよね。
大菅 はい。家でコーヒーを淹れるぐらい。
だから僕のコーヒーはここで学んだことが全てなんです。
―― 同時に、居酒屋でも働いていたと聞いていましたが。
大菅

お金を貯めるために名古屋に来たのに、全然貯まらなくて(笑)。
だから、朝6時から16時までパン屋、17時から24時まで居酒屋。1日17時間働いていました。

ちなみに料理はこの時に働いた居酒屋で学び、デザートは独学です。

―― 独学であの人気のプリンも?
大菅

なんとかなります。
家で何度も作っては改良を繰り返して、納得できるところまで持っていきました。

コーヒーだけで集客するのって本当に難しくて、それができるのはごく一部だと思うんです。
でも、焼き菓子やデザートはまだ差別化の余地があるし、求めているお客様も多い。
経営を考えると、避けて通れないのがデザートやフードだと思います。

―― やる前から諦めて、フードは仕入れにしているところも多いですよね。
大菅 もったいないと思いますね。やればできますから。
勉強は必要ですけど、それでお客様を呼べますし。
さらに喜んでもらえるとなると、やらない手はないと思います。

「居酒屋の2階」で掴んだ最初の成功

ouのプリン
―― 最初の独立は、その居酒屋のオーナーさんからの提案だったとか。
大菅 そうなんです。「居酒屋の2階が空いているから、喫茶店を立ち上げないか」と。
お店造りからメニュー開発、仕入れまで、ゼロから任されました。
―― お店を作るのは初めてだったと思うんですが、仕入れ先や機械はどうやって選んだんですか?
大菅 居酒屋の常連さんに、飲食コンサルの方がいたんです。その人に相談したらあらゆるメーカーさんを繋いでくれて。メーカーさんもその人が言うならと協力してくれて、エスプレッソマシンを無償で貸してもらえたりと……。
―― 大菅さんの人徳ですね。
でも、居酒屋の中を通らないと行けない2階のカフェって、大変だったのでは?
大菅

全員に「無理だ」って言われました。
でも僕はそれが面白いと思ったんです。

集客するために何をするかを考えて、打ち出し方を決めたり、メニューを考えたり、SNSの発信も含めて頭を捻りました。

見た目やキャッチーさだけではなくて、コーヒーはスペシャリティ、フードはしっかり手作りする。
来てくれた人が「また来たい」と思える店にしたかったんです。

―― それで早く軌道に乗ったと。
大菅 1年でオーナーとの約束の数字は達成しました。
売上予算はもちろん、SNSのフォロワー数とか、週末は並びが出るとかの部分まで。
月商140万ぐらいでしたが、最初に「数字を達成したら他の人に引き継いで独立する」とは伝えていたので、ここから独立に向けて動き出しました。

アパレルでの「ああいう人にはなれない」という挫折から、「自分のお店を持ちたい」という憧れへ。
居酒屋の2階でゼロから立ち上げたお店は、大菅さんの人柄と試行錯誤で見事に成功。

その熱量を抱えたまま、再び東京へ。
浜田山に『ou』を開いたエピソードは後編で。

Written by

福永英侍

PIECE OF SIGN 商品開発チーム。元「THE LATTE TOKYO」オーナー。約10年間休まず、渋谷区神山町で小さなコーヒースタンドを運営。当時の経験をもとに、店舗に寄り添う読み物も執筆中。