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    「こんな人生もあるのか、と思った」
    池ノ上 ベーカリー『étéco bread』
    オーナーインタビュー : 前編

     

    「こんな人生もあるのか、と思った」

    池ノ上 ベーカリー『étéco bread』 オーナーインタビュー : 前編

    池ノ上のベーカリー『étéco bread』

    パン職人になりたくて、この世界に入ったわけではない。
    独立して、自分の店を持つことを夢見ていたわけでもない。

    池ノ上の『étéco bread』のオーナー・梶原さんは、
    大学卒業後に「なんとなく」大手ベーカリーに就職した。
    きっかけは、学生時代に通った池尻大橋の喫茶店だった。

    神戸屋で13年。DEAN & DELUCA、NANO universe、
    GONTRAN CHERRIER、クイーンズ伊勢丹。
    大手と個人店を渡り歩きながら、パンと向き合い続けた。

    そのキャリアと葛藤を聞いた。

    今回お話を聞いたのは

    étéco bread オーナー

    梶原裕 さん

    1998年に神戸屋へ入社。製造・商品開発を経験したのち、DEAN & DELUCA、NANO universe、GONTRAN CHERRIER、クイーンズ伊勢丹などでキャリアを重ねる。現在は東京・池ノ上のベーカリー「étéco bread」を、妻の夏子さんとともに営む。
    公式サイト / Instagram

    「パンがやりたかった」わけではなかった

    étéco bread の店内
    ―― まず、お店を始める前のことから聞かせてください。
    パン業界に入ったのはいつ頃ですか。
    梶原 1998年ですね。大学を出て、そのまま神戸屋に就職しました。
    ―― もともとパンをやりたかったんですか?
    梶原

    いや、全然です(笑)。
    もともと特に「これをやりたい」みたいなものがなかったんですよ。
    大学は農大だったんですが、先輩たちの就職先を
    なんとなく参考にする流れがあって、その中に神戸屋があった。

    あと、近くに神戸屋のお店もあって、なんとなく身近だったんです。
    本当に、そのくらいの理由ですね。

    ―― 飲食の経験は、神戸屋に入る前にも?
    梶原 バイトはしてました。
    いちばん印象に残っているのは、池尻大橋の喫茶店ですね。
    今っぽいカフェじゃなくて、本当に昔ながらの喫茶店。
    ―― どんなお店だったんですか。
    梶原

    オーナーがケーキ屋さんで、雇われ店長がコーヒーを淹れていて。
    僕もサイフォンでコーヒーを入れてました。

    店長がカウンター越しにタバコを吸いながら、お客さんとしゃべってるんですよ。
    それを見て、「これで生きていけるんだ…」と思って。

    ―― それが飲食の原体験だった。
    梶原

    そうです。
    「ああ、いいな。こんな人生もあるのか」って。
    今思えば大きな勘違いなんですけどね。

    でも、その原体験のせいで、大変な飲食の世界に進むことになったんです。

    神戸屋で13年。大手ベーカリーでの学びがその後の基礎に

    パンの製造風景
    ―― 神戸屋ではゼロからパンを学んだんですか。
    梶原

    そうです。ゼロから教えてもらって、35歳くらいまでいましたね。

    特に、大きい店のやり方を知れたのは、今思うとすごく良い経験でした。
    のちに働くことになる小さなお店と、大きなお店。
    その両方の感覚があるのは強みだと思います。

    ―― 大きい店と小さい店では、そんなに違いますか。
    梶原

    全然違いますよ。
    個人店だと、ひとりが生地を仕込んで、丸めて、焼くところまで全部やる。

    でも大きい店だと、1日中仕込みだけの人、1日中成形だけの人、1日中焼成だけの人がいる。
    店によっては、1年ずっと同じ工程しかやらないこともあるんです。

    ―― それは独立したい人にとっては、
    なかなか厳しいですね。
    梶原

    そうなんですよ。効率はいいんだけど、全工程を覚えるには時間がかかる。
    今の子たちはもっと大変なんじゃないかって思いますね。
    働き方改革で学べる時間が限られる今、どうやって成長していくんだろうと。
    昔は良くも悪くも働けた時代でしたから。

    僕は最終的に商品開発までやれたので、その経験もよかったですね。

    ―― 商品開発は花形の仕事ですよね。
    やっぱり楽しかったですか。
    梶原

    店長兼たまに商品開発に関われるというポジションだったんですが、最初は楽しかったです。
    やりたくてやる仕事でしたし。

    ただ、現場の仕事に商品開発も加わると、また別の怖さが出てくるんですよ。

    ―― 怖さ?
    梶原

    現場にいると、とにかく量を作るんです。
    でも商品開発に入ると、1個の試作を何パターンも作って比べる仕事になる。
    もちろんそれも大事なんですけど、量をこなしている感覚とは全然違う。

    するとだんだん、「自分はもう大量に作れなくなるんじゃないか」って怖くなるんですよ。

    ―― 現場から離れる恐怖ですね。
    梶原

    そうです。たまに現場に入ると、できて当たり前と見られる。
    そこもプレッシャーでしたね。

    これは母親が公文の先生で、僕もやらされていたからだと思うんですが、
    物事は「時間と量をこなしてなんぼ」みたいな感覚があるんです。

    それがパン作りにもあって、それができなくなった商品開発は、そういう意味でも怖ろしかった。
    自分は大したことないんじゃないか、現場の人ってすごいな、みたいな。
    妙な劣等感を感じていました。

    商品づくりは誰のために?

    梶原さんが作るパン
    ―― 商品開発をやっていて、しんどかったことは他にもありますか。
    梶原 だんだん「これはお客さんのために考えてるんじゃなくて、
    上長を納得させるために作ってるんじゃないか」と思うようになったんです。
    ―― どういうことですか。
    梶原 商品会議って、いい商品も必要ですが、事前の根回しも必要だったり…。
    ある程度の「通し方」が重要だったりするんですよ。
    ―― 本質とは少しずれますね。少し気持ちが冷めそうです。
    梶原 そうなんです。仕事だから仕方ないんだけど、「なんか違うな」と思う部分はありました。
    どこを向いて仕事をしているんだろう、と。
    ―― 商品開発には、チェーン店ならではの制約もありますよね。
    梶原

    ありますね。結局、「みんなが作れる商品」にしないといけないんです。
    複雑な工程は無理だし、どんどん単純化されていく。

    既製品のジャムやカスタードを使ったほうが早いし、労働時間も短くできる。
    そうすると、商品としての面白さは少しずつ薄れていって、そこに虚しさを覚え始めていましたね。

    ―― そして神戸屋を辞めることになったわけですね。
    一番のきっかけは何だったんですか。
    梶原

    辞める前に全店舗のロス対策の取り組みとして、値引き販売をするようになったんです。
    今ではよく見ると思うんですけど、閉店前に安く売るやつです。
    あれを始めた時、僕はどうしても納得できなくて。

    ―― 職人的な感覚として、ですか。
    梶原

    そうですね。朝早くから作ったパンを、「残ったから安く売る」っていうのが納得できなくて。
    その時はボリューム陳列って考え方もあって、売り場の見栄えを重視して作る量も決めていたんです。

    しかも店長になると、月の計画の中に最初から値引き額が組み込まれている。つまり、余る前提で作ってるんです。

    ―― その違和感は大きいですね。
    梶原

    品種を減らして単品量産にすると効率は上がるけど、お客さんは同じパンを何個も買わない。
    結果、パンが山積みになって、下のパンが潰れていき、それを安く売る。

    しかも自分は、その値引きすら予算に組み込んでいる……
    続けるうちに、「これは違うな」と感じたんです。

    同じ業界でもまったく違う経験を

    オーナーの梶原さん
    ―― 神戸屋の次がDEAN & DELUCAですね。
    梶原

    神戸屋で働いていた時、目の前がDEAN & DELUCAだったんです。
    そこの店長と仲がよくて、「辞めたんですよ」と話したら、「じゃあ、うち来る?」って。

    ―― 自然な流れですね。
    梶原 そうですね。何がしたいとか強くあったわけじゃなくて、「まあいいか、近いし」みたいな感じでした。
    ―― DEAN & DELUCAでは何を?
    梶原

    そこでもパンを作ってましたよ。あと、後ろで惣菜も。

    神戸屋だとパンの知識は増えるけど、惣菜や調味料の知識はほとんどない。
    そこで惣菜の人たちと話していると、
    「こんなに調味料ってあるんだ」
    「こういう素材を使うとこうなるんだ」
    って、すごく面白くて。

    ―― それが次につながっていく。
    梶原 そうですね。もっと素材にこだわったパンをやってみたいなと思っていたタイミングで、
    NANO universe の話が来ました。
    ―― NANO universe では、パン部門の立ち上げ責任者だったんですよね。
    梶原 そうです。神南の、ベーカリーとレストランを併設させた店舗ですね。
    商品もラインナップも設備も、全部自分で決めました。
    ―― ゼロから設備を選ぶのは初めてでは?
    梶原

    初めてでした。これがすごく面白かったんです。
    職人として、「これを使いたい!」と思うものがあって。
    それがオーブンのボンガードでした。

    パン屋ならみんな知っているような存在で、当時でも小さいので800万円くらい。大きいと2000万円近いんじゃないかな。
    ああいうのを自分で決められるのは面白かったですね。

    ―― NANO universe 時代は、かなりお金をかけていたと聞きました。
    梶原

    すごかったですね。
    クロワッサンとベーグルを掛け合わせた商品が流行るかどうか、という時期で。
    「本場のニューヨークに見に行ってきて」と言われて、会社のお金で行ったりとか。

    ―― かなり豪華です。
    梶原 料理のシェフはイタリアに行ってましたしね。本当にお金をかけてました。
    ―― 立ち上げは順調だったんですか。
    梶原

    パン部門だけで言えば、売上はクリアしていました。
    小さくてちょっとリッチなパンを作ったんですが、それが好評だったんです。

    ただ、問題はレストランのほうでした。
    キッチンの規模や求められる売上の差も大きかったんですが、1年やった時点で「これは潰れるな」と思いましたね。

    ―― 何が原因だったんでしょう。
    梶原

    いちばんは人件費です。
    アパレルの会社が飲食をやると、労働時間をきっちり守ろうとする。
    でも当時の飲食って、まだグレーな働き方の上で成り立っていた部分が大きくて、そこを全部守ると数字が合わないんです。

    シェフはソースも全部ゼロから作るような人で、料理のレベルはすごく高いけど、どうしても手がかかってしまう。

    ―― でも、売上以外の役割もあったんですよね。
    梶原

    そうですね。ブランディングの意味合いもあったし、利益だけを求めていたわけでもなかった。
    働くスタッフのためでもあり、商談の場という役割もありましたし。

    でも最終的には、やっぱり構造的に無理があったと思います。

    ―― そのとき、業界の違いも感じましたか。
    梶原

    すごく感じました。
    アパレルは、今日売れなくても明日取り返せることがある。
    けれど、飲食は今日作ったものは今日しか売れないし、
    明日いきなり倍売ることもできないんです。

    だから僕はよく、アパレルは野球で、飲食はサッカーだって言うんです。
    アパレルは満塁ホームランみたいな一発逆転ができる。
    でも飲食は、毎日1点ずつ積み上げていくしかない。
    逆に言えば、それをちゃんとやれば大負けもしにくいんですけどね。

    4社目、5社目で見えてきた風景

    étéco bread のパンが並ぶ店内
    ―― 次が人気ベーカリーの GONTRAN CHERRIER ですね。
    梶原

    そうです。知り合いがいて、「渋谷店で募集してますよ」と聞いて入りました。

    この頃になると、辞めることへの抵抗がだいぶなくなっていましたね。

    ―― ゼロから開発をしてきた中で、また決められたものを作るのはどうでしたか?
    梶原

    楽しかったですよ。
    フランスからシェフが来て、直接学べたこともありましたし。

    あと、純粋に売上がすごいんです。
    そこで「1日200万円売る店って、どうやって回してるんだろう」ということに興味が湧いていましたね。

    ―― 商品というより、オペレーションに興味が向いていたと。
    梶原

    そうかもしれないです。
    今日200万円売ったって聞いたら、
    「何個作ってるんだろう」
    「レジ7台ってどう回してるんだろう」とか、
    そっちが気になってましたね。

    設備も人の配置も、全部面白かったな。
    大きなオーブンが3台あったり、セントラルキッチンもあったし。

    ―― 決められたものを作るけど、学びはあったと。
    梶原

    ありました。同じパン作りでも、
    使うオーブンやミキサーが違えば全然違う。
    このブランドは使ったことがあるけど、こっちはない、とか。

    パン作りって、まだまだ知らないことがあると気づかされましたね。

    ―― そしてクイーンズ伊勢丹に。
    梶原

    新宿で働いてるとき、
    クイーンズ伊勢丹の方がお客さんで来ていて、
    「パンの人を探してるんだけど、どう?」って
    声をかけてもらったんです。

    僕は製造もしていたけど、レジ打ちなんかもしてたので、向こうも声をかけやすかったんですかね。

    ―― 伊勢丹では最初は店舗勤務でしたっけ。
    梶原 そうです。店舗でパンを作ってました。
    そのあと、商品開発寄りの"バイヤー"になりました。
    ―― でも、ここでも違和感があった。
    梶原

    僕はスーパーのパン屋が合わなかったんです。正直に言うと、面白くないな、と。
    価格帯も決まってるし、すぐベンチマークを決めるんですよ。

    「成城石井がこういうことをやってるから、うちもこうしよう」みたいな。

    ―― 自分たちの意思がない感じ。
    梶原

    時代に合わせた商品作りというか、マーケティング主導というか。
    そこにずっとモヤモヤしていました。

    僕は職人として意固地なタイプではないと思うんですが、どこかに魂はあるんでしょうね。
    いろんなお店でパン作りを経験して、そこがわかってきたんだと思います。

    喫茶店の店長への憧れから飲食の世界へ足を踏み入れ、
    大手ベーカリーで基礎を築き、ブランド立ち上げから人気店、スーパーまで。
    梶原さんの話には、「パンが好きだから」だけでは済まない、仕事と向き合い続けた重みがある。

    独立する気はなかった梶原さんが、なぜ自分の店を始めることになったのか。
    池ノ上に『étéco bread』が生まれるまでの話は、中編で。

    Written by

    福永英侍

    PIECE OF SIGN 商品開発チーム。元「THE LATTE TOKYO」オーナー。約10年間休まず、渋谷区神山町で小さなコーヒースタンドを運営。当時の経験をもとに、店舗に寄り添う読み物も執筆中。