お店をかたちづくるのは、必然と偶然
池ノ上 ベーカリー『étéco bread』
オーナーインタビュー : 中編

 

お店をかたちづくるのは、必然と偶然

池ノ上 ベーカリー『étéco bread』 オーナーインタビュー : 中編

池ノ上のベーカリー『étéco bread』

大手ベーカリーから始まり、ブランドの立ち上げ、人気店、スーパーのパン部門。
さまざまな現場を渡り歩いた梶原さんが、ついに自分の店を持つことになる。

ただし、独立志向があったわけではない。
きっかけは妻・夏子さんの「自分でやりたい」という想いだった。

前編に続き、開業のリアルと、étéco bread が今の形になるまでの話を聞いた。

独立志向はなかった。それでも始めることになった理由

étéco bread の店内
―― いくつもの店舗での経験を積んでから独立に向かうわけですが、
梶原さん自身は最初から独立志向だったわけではないんですよね。
梶原

全然ないです。僕は自分の店をやりたいと思ってなかったんです。
知り合いの先輩たちを見ても、成功してる人がそんなに多いわけじゃない。
だからずっと「自営なんて嫌だ」と思ってました。

―― きっかけは奥さんですよね。
梶原 そうです。夏子さんがずっと自分でやりたいと思っていて。
彼女は組織の中で働くのが向いてないところがあるんです(笑)。
一生懸命やらない人とか、サボる感じの人がすごく嫌なんですよ。
だったら自分でやったほうがいい、という考えの人ですね。
―― それで先に奥さんが勤務先を辞めていた。
梶原 そうです。先に辞めて物件を探してた。
でも家賃が合わないとかで難航していて。
じゃあ僕も辞めて、一緒にやるか、みたいな感じでした。
―― でも、独立は怖くなかったですか。
梶原 怖かったですよ。やる気なかったですし(笑)。
―― それでも始めたという。
梶原 不思議ですよね。うまくいくとも思ってなかったし、そこまで先も見てなかった。
ただ、オープン前日に仕込みを終えて二人で帰るとき、
「明日、お客さんゼロだったらどうしよう」と思った、あの怖さは今でも覚えてます。
―― 立地として池ノ上を選んだ理由は?
梶原

最初から池ノ上に出したかったわけじゃないんです。
駅名すら知らなかったですし。
本当は上原とか三茶で探してたんですけど、高くて高くて。
なので、自宅から10〜15分くらいの範囲で探そう、となって。

ある日、「今日もダメだったね」って三茶の物件を見た帰り道に、今のお店の前でちょっと休憩したんです。
そしたら募集の張り紙があって、ダメ元で電話したら「今見ますか?」となり、その場で決まりました。

―― 探し疲れた末に見つかったんですね。
梶原 そうですね。もう「終わらないな、これ」となっていたので、
「もうここでいいか」って感じでした。諦めに近かったですね。

設備はほとんど中古。助けてくれたのは、過去の経験

étéco bread の設備
―― 開業時の設備はどうしたんですか。
梶原 ほとんど中古です。
冷蔵庫みたいな水を使うものは新品にしたけど、ミキサーとかシーターとか、そのへんは中古で。
内装もDIYですし、新品のものはほぼないです。
―― 予算を抑えるためですか。
梶原

そうですね。あと、お金を借りるのが怖かったというのもあります。

でも設備に関しては、今までいろんな店でいろんな機械を使ってきたから、「何でも使える」という感覚があったんです。
どんな機械でも、それに合ったパンは作れる。
そこに自信があったから、程度の良い中古を選べたっていうのはありますね。
過去の自分が救ってくれました。

―― 開業資金はどう決めたんですか。
梶原 最初に必要なものを全部リストアップして、
「これだけ必要だからこれだけ借りる」というやり方でした。
借りられるだけ借りよう、ではなくて。
―― どのくらいでしたか。
梶原 借りたのは500万〜600万円くらいで、自己資金を足して、
初期費用全体で1200万〜1300万円くらいじゃなかったかな。
―― 今では考えにくい金額ですね。
梶原 今は絶対無理ですね。同じ店をあの予算ではできないです。
ほんと、なんでも高くなりましたね。
―― オープン当初の売上計画はどのくらいだったんですか。
梶原 1日5万円売れたらいいな、という計画でした。
―― 実際はどうでした。
梶原 オープンして1週間くらいは、毎日午前中で売り切れちゃったんです。
だから予算は毎日達成してましたね。
―― 最初からお客さんが来るってすごいですね。
何が大きかったんでしょう。
梶原 試作のパンを配ってたことが大きいかもしれないです。
オープン前、試作でできたパンが余るじゃないですか。
それを「売るのもダサいし、配っちゃおう」って、近所でずっと配ってたんです。
―― 集客を見越して?
梶原

そこまで考えてなかったですね。
試作したパンを廃棄するのはもったいないな〜位の感覚でした。

でも結果的に、地元の人が覚えてくれて、オープンの日に来てくれた。
それが口コミで広がったんだと思います。

「高くしたほうが、この街に合う」──店は1か月で変わった

étéco bread のパン
―― いまの étéco bread の方向性(高価格パン)は、
最初から決めていたんですか。
当時はそうしたパン屋さんも珍しかったですよね。
梶原

割とすぐに変わりました。最初は普通のパン屋だったんです。
でも、オープンしてしばらく経つと、お客さんから
「安すぎる」「もっと値段を上げて、違うパンにしたほうがこの街に合うよ」と言われたんです。

そこで、1か月でメニューを全部入れ替えました。
僕は別に「自分のパンを世の中に広めたい」みたいなタイプじゃないので、
「そういうものなんだ」と思って、じゃあやってみよう、と。
夏子さんはフレンチの経験もあるし、それも組み合わせられるなと思いました。

―― それで、いまのリッチで存在感のあるパンに。
梶原

世の中には、小さくてきれいで美味しいパンはいっぱいある。
だったら、うちは大きくて、食べ応えがあって、美味しいパンにしようと。
そっちのほうが単価も取れるし、という感じですね。

ただその代わり、SNSでは商品のことをきちんと伝えようとは思っています。
安いものを作っているわけではないので、納得感を持って買ってもらえるように、テキストでもちゃんと伝えたいなと。

―― 自分のパンを世の中に広めたいという欲はないとはいえ、
étéco bread のパンって、見ればわかる個性がありますよね。
梶原 そう言ってもらえるのはありがたいですけど、最初からそれを狙ってたわけじゃないんです。
お金もないし、店も小さいし、その中で何ができるか考えた結果、こうなった感じなんです。
―― お店の雰囲気も相まって、"ジブリっぽい"ですよね。
梶原 よく言われますけど、夏子さん、ジブリほとんど見たことないと思います。
『魔女の宅急便』は間違いなく観てない(笑)。
だから、そういう世界観を作ろうとしてやってたわけじゃなくて、たどり着いたらそう見えた、というだけですね。

パンだけではなく、パン屋の働き方を変えたかった

梶原さんインタビュー風景
―― 梶原さんがずっと気にしてきたのは、
パンそのものだけではないですよね。
梶原

そうですね。パン業界の働き方のほうに、ずっとモヤモヤしてたんです。
なんでこんなに朝早くて、こんなにきつくて、時給が安いんだろう。
飲食全体もそうだけど、なんでこんなにしんどい感じになっちゃうんだろうって。

パンは安くないといけないとかね。
日常食だから仕方ないって考えもあるけど、もっと単価が高い国もありますから。

―― 業界を変えたいと。
梶原 少しでもよくしたいです。
そのほうが優秀な人が来ると思うし、結果として業界もよくなると思います。
―― 実際、お店ではどのような取り組みをされてるんですか。
梶原

給料の部分はもちろん、業界水準より高くしています。
あとは仕組みの部分もですね。
タイムカードはアプリで本人に打ってもらうし、僕らがいじれないようにしてる。

給料計算も外部の人に任せていて、僕は修正もしない。
自分が見てきた嫌なことを、自分がやるのは違うなと思ってるので。
当たり前のことですけど、それができてない業界なので。

―― étéco bread が広く知られるきっかけとしては、
テレビ番組の『セブンルール』が大きかったですよね。
梶原 いちばん大きかったですね。あれで一気に認知が広がりました。
―― 出演を狙っていたと聞いた時は驚きました。
梶原

そうです。これまでの現場で、
メディアが何を求めてるかはなんとなく見えてたんです。
だから、うちは夏子さんを前に出して、
女性が一生懸命やってる、売り切れるまで頑張る、
みたいな見せ方をすれば、たぶん食いつくなと思ってたんです。

ただ、勘違いしてほしくないのは、そこに嘘がないということ。
メディアの力は使うけど、メディアに出るために嘘はつかない。

夏子さんも僕と同じように朝から働き、パンを作り、売り切れるまで店に立っている。

メディアに出るためにそうしたのではなく、取り上げられそうな働き方を、もともとしていた。
それをきちんと伝えたい、そんな考えでした。

―― テレビで一気に人が来ると、現場は大変じゃなかったですか。
梶原 大変でしたけど、そこまで想定外ではなかったですね。
もっと大きい現場を見てきたので、「まあこうなるだろうな」という感じはありました。
やはりここは過去の経験が生きてるんだと思います。
量を作ることから逃げずにきてよかったなと。

独立を考えていなかった二人が、偶然見つけた池ノ上の物件で店を始めた。
メニューの全面刷新や、自ら仕掛けるメディア戦略まで。
「パン屋の働き方を変えたい」という想いは、商品にも経営にも現れている。

開業から8年目を迎えた今、梶原さんは何を考えているのか。
店を続けることの意味と、これからの構想を聞く後編へ。

Written by

福永英侍

PIECE OF SIGN 商品開発チーム。元「THE LATTE TOKYO」オーナー。約10年間休まず、渋谷区神山町で小さなコーヒースタンドを運営。当時の経験をもとに、店舗に寄り添う読み物も執筆中。